index< 日誌 ag儒教< 24a-67くり返し 7 「自己認識」p9

1、主人とドレイ。


こうした社会では、このような首領様に対する忠誠心が、何よりも優先する自分たちの正義なのである。またこの正義を基づいてこそ、家庭内において家長が首領様として振る舞うことが許されているのである。

このようにして、外では自分は首領様のドレイなのであるが、しかしこれを守ることによって、この首領様の権威をバックにして自分は家庭内において絶対的君主として、首領様として君臨することが出来るのである。

それでも本人に能力があれば、それはそれでよいのであるが、しかしまた、本人に能力がないからこそ、このような外からの権威によって、自分を正当化しようとするのである。そうするしかなく、そうせざるを得ないのである。

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2019-0523-0526

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