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5、インドの場合。


これはちょうど今日のインドにおいて、夫を亡くした寡婦が火あぶりとなって夫の後を追い死ぬのとよく似ている。そしてそれを大衆は最上の、もっとも尊い神のような行いとして賞賛するのとよく似ている。

国際的な人権団体が動いてこれを全力で阻止しようとしたにもかかわらず、本人は火あぶりになって死ぬことを選んだのである。

なぜなら、生き残った寡婦に人権も収入もなく、差別されて乞食のような生活しか出来ないようになっているからである。ならば火あぶりとなって貴ばれて死ぬ方が幸せなのである。そしてこれは、儒教が求めた教義と非常によく似ているのである。

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2019-0523-0526

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