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見える現実の出来事やそのすがたを、自分の中の無意識の世界で、それを記号化した印象として記憶している。その方が簡単でラクだからである。そして、それが本来持っていた由来や理由といった、具体的な現実との繋がりを喪失している。 感覚といったものが、観念的で抽象化された印象、象徴化された記号と化すことによって、感覚自身が感覚を意識するようになったのである。感覚は、感覚の中で自分を意識するようになったのである。 人間は、具体的な現実の世界から解放されて、または追放されて、もっと自由にものごとを考えたり、自分を意識するようになったのである。 |