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10、記憶の跡。

そして、このようなことが、他のすべての色についても様々なカタチで繋(つな)がっている。楽しみや嬉しさといった、おびえや恐れとは別の意味での情緒についても言えるのである。むしろ、このような「色」でもって、そうした情緒といったものを意識して来たのである。そしてそれを肉体の記憶として保存してきたのである。

果てしなく無限に蓄積されて来た、自分たちの祖先の記憶の方法としては、これをもっとも簡潔に表現するものとしては、このような抽象化された現実の色やカタチの印象以外にないのである。そして、これを遡りたどって行って、かつて祖先が生きていた情緒の世界を垣間見ているのである。

黄色の、どこまでも付きまとってきそうな、執拗で狂気じみた色はどうだろう。あるいは青色の、覚めて底なしに沈んで行くような感じ、あるいはまた、水色の透明で透き通った、果てしなく純粋で自由な感じはどうだろう。

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2019-0609-0618