index< 日誌 as同一性< 24a-90「感覚の意味」p5

1、正体不明。


いまだカタチにならないもの、なおかつ、これが何なのか自分でも分からない未知のものであるとすると、それ自体がまた、カタチに成りようがないのである。しかしまた、だからこそ何にでもなり得るのである。

現実に無いものだからこそ、現実の何にでも取り憑き、乗り移り、成り済まして入ってくる。そしてまた、これこそが自分の真実の姿であると思えてくるのである。現実を生きる人間の誰もが、そうなのである。そうやって、自己の居場所と立場を与えられるのである。

なぜなら、もともと自分というのが曖昧で捉えどころのない、意味不明の者だからである。だからまた、何にでもなり得るし、そしてまた同時に、何者にもなり得ない存在なのである。

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2019-0618-0624