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あるいはまた、そうする以外に自己を表現する方法を持たないのである。ただそれだけが自己を表し得る場面となっているのである。そしてこれがまた、自己を取り巻く環境ともなっていて、それしかなく、それしか知らず、それだけが自己の存在の条件となっているのである。 そしてこれが自分が成り立つ条件であり、下地であり、背景であり、その基礎を成しているのである。これは必然なのであって、そして誠に致し方のない成り行きでもあって、本人してみれば、それ以外に選択の余地がない世界なのである。 これしかないということ。しかしまた、だからこそ自分が自分であると言い得るのである。そしてこれから離れて、それを失うと、まるで自分が自分で無くなるように思えてくるのである。自分には、それしか無いのである。 だからまた、それが自分の存在の根拠のように思えてきて、そしてこのような背景と下地の中から自分が信じるもの、自分というものの意味が意識されているのである。 |