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それは主観に過ぎなかった自己というのが、客観的な現実としての自己を意識し始めたことを意味している。主観が客観を意識することによって、自分が自分を意識出来るようになったのである。自分を客観的な存在として見るようになったのである。 このようにして、自己と現実世界が区別されたのである。主観に過ぎなかった自己というのが客観的な存在としての自己を獲得したのである。現実の存在が、自己の内的な観念の世界と対峙し始めたのである。 自己と現実の世界が区別されたことで、自分の中で自分を意識し始めたのである。他人とは違う自分を意識している。自己と他者の間の境界線が意識されたのである。現実とは別の自己の、神聖不可侵な精神の世界を意識し始めたのである。 |