index< 日誌 <au錯覚< 24a-94「外面的な表情」p6 |
もちろん、それはそれで一つの幸せのカタチなのかも知れない。何よりも自分を見つけるなどといったこと自体が無意味で、おぞましいことなのかも知れないのである。それはそのままで触れずに、気づかないままで居るのが幸せなのかも知れないのである。 波風も立たず、いさかいも争いもなく、そして誰もが幸せで居られるコツというのかも知れないのである。 そしてごくフツーの一般的な大多数の人々がそうではないだろうか。 事実、そうした生き方を中庸とかオトナと言っているのである。たしかにそうして世の中が丸く治まっている、ということ自体が、だれもがみな自分を抑えている、もしくは考えようとしないからに他ならない。 |