index< 日誌 <au錯覚< 24a-94「外面的な表情」p6 |
しかし、少し考えて見ると、これは何も表情に限ったことではなくて、写真や映画、小説についてもそのまま言えることであって、中身がカラッポで何もなく、どうでもよいものであって、表面的な体裁と形式だけが過大に拡張されて、それだけがすべてのように思われている。 そして、それが好まれるし求められてもいる。しかし、これでは何も見えないし、見えても来ない。大衆は自分で考えるということを止めてしまったのである。そして、このようなところでは何も生まれない。何か新しいことが始まるということもない。 ただ夢かマボロシのように現れては消えて行くだけである。実体というのがないのである。そして、これが自分なのである。これが自分の自意識になっているのである。自分の生き方や感じ方、考え方がそうなのである。だから何をしていても、どこに居ても、結局のところ自分を見つけることが出来ずにいるのである。 |