index< 日誌 <av表情< 24a-97 「仕草の表情」p6 |
まるで無限の変化を繰り返す「玉虫色」のように、自分の中から現れては消えてゆくのである。やはりそれは現実とは別のものだ。それは自分の情緒が映し出した観念の世界を見ている。あるいはまた、それは、抽象化され象徴と化した、自分の中のサインの世界なのである。 私たち人間にとっての現実とは、このようにしか見えて来ない。あるいは、このような情緒の世界を通してしか見えて来ないのである。そしてこれが自分と世界との係わり方なのである。それはまた、自分自身の存在のカタチなのである。 しかし、ここで注意して注目しなければならないのは、このような係わり方が、現実に対する自分自身の感じ方を規定している、ということなのである。 それはまた、自分の現実のに対する行為や創造においても、それがそのまま予(あらかじ)め定められている、ということなのである。言い換えると、それしか出来ず、それ以外のことが出来ないということである。人間自身が予め制約され条件づけられた存在だということである。客観的に定められた存在なのである。 |