index< 日誌 <s設定< 24b-03「歴史的現実」p8 |
従ってまた、繰り返しになるけれども、このような無意識の肉体の情緒といったものが、私たちの文明の、そしてその信仰の根源にあると思えてくるのである。実際そうしたことは、その民族の気質や習慣、伝承や昔話、歴史などにおいて執拗かつ一貫して見ることが出来る。 それは例えば、ちょうど15世紀ごろに始まった「近代」という世界が、資源の過剰な供給によって、合理性と効率を正義として、そしてその理性を自分たちの信仰としたのと同じである。そしてこの時代、この理性がここで生きる人間にとっての情緒や感情の基準となり、思考のパターンとして定着したのと同じである。 あるいはまた、それを東アジアで見るならば、稲作が支配する閉じた集団的世界において、人間の間の、固定した上下の身分関係だけが絶対の正義とされたのと同じものなのである。 さらにまた、例えば日本列島の地理的・地政学的条件、そしてそこからカタチ作られてきた気質や気性、そしてその歴史の特徴と方向性がそうなのである。そのようにしか成れないという意味でそうなのである。そしてこれがまた、ここで生きる者にとっての歴史的現実なのである。 |