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4、必要。


自分の中で閉じて自己完結した、自らの対象を喪失した情緒といったものが、対象も相手も理由もある感情となり、そしてその表現としての仕草や行為とならねばならないのである。そうやって始めて自分も納得が出来るし、自分が自分として存在し得るのである。

このようにして仕草やクセや身振り素振りといったものが、何か意味あるものとして理由づけられ、自分の情緒の中で何か変化があるたびに、それに関連付けられ、そして自分なりに理解できるようになるのである。

そして、このようにして人間の生き方や行動のパターンといったものが形式化され、共通化され、画一化される。そうして、それが共通化されてこそ、それがコミュニケーションの手段として拡がって行くことが出来るのである。

ただたんに、自分が納得するだけでなく、相手にもそれが分かるように標準化され規格化されるのである。そして、このようにして集団の中で互いに感じ合い、共有し、交流し合えるようになるのである。また、それが求められたのである。

戻る。                続く。

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2018-0707-0710