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2、信仰。


これはまた、宗教についても言える。恐ろしさのあまり、恐ろしさから逃げたいがために、自分から進んで恐ろしいものへと進んで呑み込まれて行く。そうやって自分をごまかし、それを忘れ、それから逃げようとする。現実逃避である。

恐ろしさのあまり、自分を放棄することによって、自分の精神的な死でもって助かろうとするのである。恐怖と愛のいずれを取っても、似ているところは自己放棄であり、自己の否定である。

そして、そうした心情といったものが祈りや願いなどといった仕草や行為となって現れている。いっさいの警戒心を捨てて、両手両腕を広げて差し出し、目は相手を見上げ、何もかも無防備にさらけ出した姿勢で、相手に自分を投げ出している。だから、やはりこれは願いなのであり、祈りの表情であり、そのポーズなのである。

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2018-0710-0715