index< 日誌 < aj情緒 < 24b-29情緒C 「補足:繰り返し」p6 |
もしも、繰り返されることがなければ、それは飽くまでもその場限りの偶然に過ぎないのである。それは環境が「くり返される」ことを許さなかったのである。くり返される必要も必然性も自分の中に無かったのである。 そしてそれは、「くり返される」ことによって、歴史上の現実的な存在となることが出来たのである。そしてこれが私たち人間にとっての歴史であり、現実なのである。そしてそうでない者は現実から消えて、忘れられ、不要なものとして記憶からも失われているのである。 記憶に残るというのは、それが現実の存在に成り得たものだからである。そしてこれが歴史なのである。また、それは言葉や思考などと共に自分自身の肉体の生理の特質としても保存されて行くのである。 |