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3、舞台。


もちろん、個人同士あるいは民族や人種同士の間でも、多少の違いのズレや、揺らぎや、あそび、誤差といったものは十分にあり得るのであるが、しかし、このような誤差の存在そのものが、「人類」という同一の枠の中でこそ言い得ることなのである。

互いに比較も出来るし、違いをハッキリすることも出来るのである。それは、そうした「類」という共通の座標の上でのみ出来ることなのである。そうした意味で、私たちはみんな同じ人間なのであって、まただからこそ、互いに理解することも、いがみ合ったりもするのである。

もちろん、それは互いに信じ合えると言っているのではない。そんなこと誰にも分からない、主観的な願望に過ぎないのである。しかしまた、このような願望自体が、同じ人類という共通の舞台の上でのみ演じられる、ということなのである。

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2018-0710-0715