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あるいは、「もの」とそれ以外のものの区別そのものが、すでに失われている世界なのである。というワケで、ここでもやはり、それは人間の側からする意図的で観念的な、そして一方的な空想、もしくは観念の世界に過ぎないと思えてくるのである。 何もかもがマボロシと空想の世界であって、自分は、どうやって現実の自分というのを確かめたら良いのか分からなくなるのである。私たちの論理や思考、そしてそうした世界の下地になっている観念の世界といったものは、私たち人間が自分勝手に創り出した空想と仮定の世界ではないかと思えてくるのである。 |