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しかし、この経済合理性という考え方自体は、あらかじめ人間の生き方を、経済的な合理性とその拡大を目指したものであって、それを想定し、それを前提としたものであった。 従って、もちろん、今日においてはそのままで通用しない考え方なのである。時代は今日、経済の量的な拡大ではなくて、これまでとは異質な経済の原理と仕組みを求めているのである。 すなわち、かつて近代という時代が理想とした「経済人」という概念が、もやは通用しなくなっている。 |