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私たちは現実の世界を生きているカタチある存在である以上、このカタチによって規定されざるを得ず、このカタチを越えることもあり得ず、このカタチの範囲において何ごとも成され、また、営まれ続けてこれたのである。 ということはまた、この範囲においてしか何も感じられない、ということなのである。そしてこの感じ方というのが、すでにこの現実のカタチにおいて条件づけられ、方向づけられている。 すなわち、あらかじめ、すでに与えられ規定された存在なのである。自分の肉体のカタチがそうなのである。遺伝的にも、社会文化的にも、また、自然環境においても、あらかじめ与えられ規制された存在なのである。 |