index< 日誌 <ar象徴< 24b-60コミュニケーションD 「乗っ取り」p8 |
そして実際のところ、このような無意識の世界が自分にとっての無限の可能性となっているのである。しかし実は、それは私たち自身の空想の世界などではなくて、私たち自身の肉体内部の、感覚の世界の出来事なのである。 現実の意識や思考の入る余地のない、それとは別の次元の世界の、それだけで完結し自律した、感覚の感じ方の世界なのである。そして、私たちの肉体自身が、そうした感覚が現実化したものだとすれば、これこそが精神と肉体の接点であり、それが交流する場所となっているのである。 そしてまた、私たちは好むと好まざるとに係わらず、この生理という世界に入って行かざるを得ないのである。そして、ここでいうところの生理とは、人間が生きている自然環境と条件、そしてまた、歴史的な存在としての、人間の存在の仕方のことなのである。 なぜなら、それがこの自分の中の生理を生み出しているからである。それは自分と外の世界との係わり方のことなのである。そして、これが客観的な必然性として、いやおうなく人間を条件付け、方向づけ、規定しているのである。 |