index< 日誌 < av表情 < 24b-83主権A 「境界線」p5 |
自分でもそれと気づかないまま、まわりのことを気にしているのであって、他人の目が気がかりなのである。そして、そうした心の動きと情緒といったものが、自分でも気づかないまま、揺れ動く感情の起伏として、自分自身の身体の動きや表情となって現れている。 これは自分でもガマンしたり、コントロールしがたいものなのである。そして、そうしたことが、いつしかクセや馴れと習性となって、自分たちの常識となり、日常の習慣や習わしと作法になって行く。 私たちは、そうした自分でも気づくことのない、タブーとシキタリの世界を生きていて、また、その中でのみ周りから理解もされるし、共感したり、交感と交流し、そうしてコミュニケーションとして成り立っているのである。 私たちは、そうした見えない壁の中を生きている。それは私たちが越えてはならないタブーであり、オキテであり、境界線なのである。 |