index< 日誌 < y肉体 < 24c-05種の記憶@ 「漂泊」p5 |
このような自分でもどうにもならないというのは、自分自身の現実の存在のことであって、この現実の肉体のカタチを離れて自分というのは存在しないのである。そして、この現実の存在の中に巣食うタマシイの世界を精神と言っているのである。 だから、生きている自分という個人が死んでも、人類という種のタマシイとして生き続けるのである。あまねくすべての人類のタマシイの一部分として生き続けるのである。 だからまた、いま現実を生きている私たちは、それに支配され、方向づけられ、条件付けられているのである。そしてこれが私たちの肉体の生理の作用であり、情緒であり、そしてタマシイの世界なのである。 |