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それは、そうやってしか自分というのを表現し得ないのである。生きている精神からすれば、自分というのは常に現実の一部分でしかないのである。そしてこの一部分を通してしか、自らを表現し得ないのである。 だからまた、さ迷い、乗り移り、引越して行く、そうした幻のような存在でしかないのである。そうした自分が他人のように思えてくるのである。自分のことなのに、それがまるで別人のように思えてくるのである。 自分のことのなのに、まるで他人のように思えてくるのである。定住先を持たない日々流浪し続ける漂泊の民のように。 |