index< 日誌 < y肉体 < 24c-14種の記憶I 「悪霊」p4


4、闇の中。

しかし、「悲しみ」といった場合、それはもっと内向的である。それは他者との係わりが無くても。むしろ係わりが無い方が、より深く悲しむ。他者との係わりの中で悲しみが始まったとしても、結局は自分の中で、自分だけで悲しむことになるからである。

このように考えて見ると、先の方で述べたオバケや悪霊といったものの感じ方もかなり違ってくる。たとえば、「悲しみ」という感覚からそれを見ると、哀れで愚かな可哀そうな感じ方となる。ある意味、それは見方(みかた)を変えて見ると、それは余裕であり、自信であり、「ゆとり」とも受け止めることが出来るのである。

しかしまた、それに深く取り憑かれると、そこから出れなくして自分で自分を締め殺して行くことになる。だからまた、ここでも適当にごまかして、軽く受け流すようにしなければならない。

いずれにしても夢やマボロシといったものは、このような情緒の世界であって、それは、現実の世界の中で種々様々にすがたカタチを変えて現れてくるということである。そしてこの情緒とは、自分の中の、そして自分にしかない内面の、見えざる闇に閉ざされた世界だということである。

戻る。              履歴へ


index< 日誌 < y肉体 < 24c-14種の記憶I 「悪霊」p4
2018-0825-0908