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自分の意識と生理、そして表情といったものが、それぞれ分離することによって、自分で自分を意識し自覚せざるを得なくなっている。そしてまた、それ自体が自意識と情緒の根源となっているのである。 肉体の生理の作用に過ぎなかった表情といったものが、相手にある目的を促し、あるいは強制する交渉の手段になっている。意図された目的のための意識的な道具になっているのである。 ここに目的と手段、意識と表情、精神と肉体といったものが分裂している。自らの肉体の表情といったものが自分の中から分裂して、それが、自分にとって生きるための手段になっている。このようにして自分で自分を意識している。そして、自分の意識と身体は別のものであるということを思い知らされる。 |