index< 日誌 < j生理的情緒< 24c-37情緒の始まりD 「映し出された精神」p7 |
そして、これを自分たちの拠り所とし、支えとしていて、自分たちが信じるもの、自分たちのタマシイのように感じられるのである。そして自分が自分であること、自分が自分であり続けるということ、そうした何か自分の証明になり得るものを探し、発掘し、発見しようとしているのである。 このような「自己の同一性」を離れて、自分というのは存在しないのである。それは自分の精神が現実と交流する接点なのである。それは同時に自己の精神の領域であり、その境界線であり、そしてその精神の現実のカタチなのである。 そしてこれが自己の精神の、現実のすがたなのである。この現実を離れて自分は存在せず、この現実との接点においてこそ、自分自身の理由と意味が見えてくるのである。そうやって始めて自分が自分を知り、感じ、そして確かめることが出来るのである。 |