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自分を確かめ、自分を理解し、そして自分を知る。しかし、このような自分自身の心情や気持ちの、情緒の働きといったものは、もやもやとしていて曖昧でぼんやりしていて、捉えどころのないものである。 つまり、それが何かという姿カタチがハッキリせず、また、それが何なのかという対象としての「もの」自体が曖昧だからである。情緒自身に対象など無く、もしもあるとすれば、それは情緒自身に対する情緒の感じ方でしかないからである。 それでは、いったいどうやって自分の気分というものを知り、そして、それをどうやって表現したり感じたりするのだろうか。カタチなきものを、どうやって知ったり表現したりすることが出来るのだろうか。 |