index< 日誌 < s設定< 24c-49「記憶の世界」p8 |
私たちが何かを「知る」ということは、このことを意味している。従ってまた、私たちが現実の世界で見るもの触れるものといった、そうした感覚の共有と交流自体が、すでに自分自身の記憶の世界を仲介して見ている。 あるいは、このような記憶の世界なしに、そうした認識自体が不可能なのであって、このような意味で人間にとっての現実の世界とは、自分自身の感覚の世界を意味している。 現実とは自分自身の感覚の世界なのである。そうして感覚が感覚を見ている。現実とは自分の中で反射して映し出された、自分自身の感覚の世界なのである。 |