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5、現われる。

そしてこれが自分であると思えてくるのである。または、そう思わなければならないのである。なぜなら、それが自分の現実のすがたカタチだからである。

しかし、実際のところ、それが本当に自分なのかどうかというのは、まったく別のことなのである。精神と肉体は共に自分のものだとしても、精神と肉体、あるいは自分の意識と現実とは全く別のものだからである。

だからまた精神は、自らの現実のすがたとしての肉体が、どうしても必要なのである。そしてその移り行く姿でもって自分を表現せざるを得ないし、また、表現しなければならないのである。また、そうしてのみ、自らを現実のものとして現わすことが出来るのである。

戻る。              続く。

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2018-0923-1002