index< 日誌 < l見えないもの < 24c-66精神が現れるところ@ 「裂け目」p7 |
そしてこれが自分であると思えてくるのである。または、そう思わなければならないのである。なぜなら、それが自分の現実のすがたカタチだからである。 しかし、実際のところ、それが本当に自分なのかどうかというのは、まったく別のことなのである。精神と肉体は共に自分のものだとしても、精神と肉体、あるいは自分の意識と現実とは全く別のものだからである。 だからまた精神は、自らの現実のすがたとしての肉体が、どうしても必要なのである。そしてその移り行く姿でもって自分を表現せざるを得ないし、また、表現しなければならないのである。また、そうしてのみ、自らを現実のものとして現わすことが出来るのである。 |