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しかしまた、そうだとすれば、見える現実の自分のすがたや営みは、どうでも良いものであって、そうした現実の姿といったものは、ただ自分の精神の必然性や自律性の表現手段に過ぎないのである。 だからまた、そうした意味で自分の意志や心情といったものは、千差万別な様々なカタチで表現されるのであって、しかしまたそれは、現実とのかかわりの中でのみ、そうであり得るのであって、現実というのが具体的で特殊な世界であるからこそ、そうした千差万別であり得るし、また、そうならざるを得ないのである。 そして、このような現実とのかかわりの中でのみ、自分自身の意味や目的や対象といったものを持つことができるのである。 |