index< 日誌 < l見えないもの < 24c-67精神が現れるところA 「文明の起源」p7 |
しかしこの現実の対象と、実際の目的や理由を捨て去った後に残るのは、それら自体の抽象的な原理なのである。自分を自分たらしめている、自己の自律的な必然性なのである。 そしてこれをもって私たちは、自分たちのタマシイといっているのである。そしてそれはまた、自分たちの遠いかなたの、無限で永遠の神々の世界なのである。 そしてそれを私たちは、自分自身の肉体のカタチとその営みの中に見ているのである。そしてこれが私たちが生きている現実の意味であり、その理由なのである。 |