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しかし、そうだとすると、現実の見えるすがたカタチは転変し移ろいゆく幻のようなものであって、いかようにも、どうにでも何にでも表現されるということである。 何でもかんでも手当たり次第に、自分の都合の思い込みだけで意味づけられ、動機付けられる。そしてこれが象徴と記号化された印象となって、簡略化された目印しのスイッチとなって代行される。 そしてこうしたことが、私たちが生きている現実のすがたなのである。私たちが見て触れて感じている現実世界のすべてなのである。何もかもが幻のようなものなのである。 |