index< 日誌 < l見えないもの < 24d-02「錯覚・情緒が求めるもの」p6 |
だから、それがどんなカタチを取るかということは、ただ情緒が求める欲求に適うものでありさえすれば良いのである。そしてこの欲求自体は、極めて抽象的で観念的なものであって、どのようなカタチにも成り得るものなのである。 あるいは、その欲求に適うものでなかっても、ただそれに成り済ましてゆくのである。情緒の欲求自体が雰囲気的な気分、あるいは対象なき感情的なものである以上、それはどんなカタチにも成り得るのである。 そしてまた、それが相手と共有し得るものでありさえすれば、何でも良いのである。この共有とは情緒に共通するもの、例えば快・不快、もどかしさ、わずらわしさ、楽しさ、心地良さ、といった気分や雰囲気のことである。そうして相手を通して自分を感じているのである。 |