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3、情緒の共有。

だから、それがどんなカタチを取るかということは、ただ情緒が求める欲求に適うものでありさえすれば良いのである。そしてこの欲求自体は、極めて抽象的で観念的なものであって、どのようなカタチにも成り得るものなのである。

あるいは、その欲求に適うものでなかっても、ただそれに成り済ましてゆくのである。情緒の欲求自体が雰囲気的な気分、あるいは対象なき感情的なものである以上、それはどんなカタチにも成り得るのである。

そしてまた、それが相手と共有し得るものでありさえすれば、何でも良いのである。この共有とは情緒に共通するもの、例えば快・不快、もどかしさ、わずらわしさ、楽しさ、心地良さ、といった気分や雰囲気のことである。そうして相手を通して自分を感じているのである。
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2020-0215-0218