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6、記憶のカタチ。

もちろん情緒自体は、当初、このような現実の必要から始まったものなのである。そしてそれがいつしか無数世代の、数百数千年に渡る繰り返しの中で、現実的な動機と目的が失われて行き、ただその気分や気持ちといった情緒の象徴的な意味だけが残り続けてきたのである。

経験の実際の記憶が失われ、その印象の生理の仕方だけが残されて来たのである。例えるなら、私たちの現実の骨格のカタチがそうであるようにである。現実を生きて来た祖先の記憶が、目に見える自分の身体のカタチとして、その記憶を残してきたのである。
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2020-0215-0218