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自分の中のたいていの動作や表情や仕草といったものが、意識的あるいは無意識の、あるいはまた、先天的または後天的な習慣や習性から来ている。 そして、それが自分でも特に何も感じられないというのは、それが自分にとって意識されず、意識する必要もなく、そしてそれが自分でもコントロールできる作用だからである。 しかし、そうでない場合もある。それが自分でも意識されない場合である。言い換えると、無意識の内に自分がそれに支配されている、ということである。そして、ほとんどの場合がそうなのである。 |