index< 日誌 < ai原理 < 24d-06「肉体のカタチ」p6 |
そして、このような私たち自身の身体的特徴、および生存の仕方自体が、それ自体ですでに私たちの考えや生き方、そしてまた私たち自身の記憶をカタチ作る土台になっているのである。このような自分自身の肉体を離れて存在も経験も記憶もあり得ない、という意味でそうなのである。 そしてまたこの肉体が、その上で繰り拡げられる観念の世界の印象といったものを、規定し条件づけているのである。従ってまた、このような印象が持つ、暗示の予兆や予測といったものが当然あり得るのである。私たち人間の肉体とその生活の様式の特徴が、それを予め定めているのである。 まるで何かに導かれた本能的な衝動のように。自分に迫ってきて、そして拘束し、追い立てて行くのである。そうならざるを得ず、そのようにしか成れないようにである。 これは原理であり、必然性であり、肉体自身が持つ傾向なのである。それは自分が自分であることの根源であり、これが自分の歴史なのであり、そして自分自身の存在の仕方なのである。それは、もはや自分では、どうにもならないことなのである。 |