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4、許される。

自分に対してもそうであるし、そしてまた、相手に対してもそうなのである。そうやってコミュニケーションというのが繋がり、拡がって行き、そして定着して行く。それが自然で当たり前の常識として信じられているのである。

そしてこれがシキタリや習慣の日常として定着していて、それを守ることによって自分が社会の一員として認められるのである。だからまた、それは信じなければならないし、そしてそれを信じてこそ、この世界で生きることが許されるのである。

それは社会の土台であって、その前提なのである。従ってまた、それに反する者は許されないし、許されることがなかったし、そしてまた、許してはならない存在なのである。

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2018-1022-1027