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情緒そのものからすると動作や表情といったものも、そしてまた現実の行為といったものも、情緒とは直接の関係のない間接的で代替的なものに過ぎないからである。要は、情緒自体が現実のすがたの何にでも取り憑くし、乗り移り、成り済ますということである。 情緒からすると現実の行為そのものは、何でも良く、どうでも良いのである。ただ情緒自身が求める心の欲求を満たしてくれれば、それで良いのである。その行為の理由や原因は問わないないのである。 そしてまた、このような仕草や表情の行為といったものが、ただそれだけで何らかの目的と意図を持った目印しとして、象徴や行為へといざなうスイッチとして機能しているのである。 |