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それは直接的には、自分の中の感覚と生理の作用を通して現れてくる。そして外の現実に対しては、定形化された思考と行動のパターンとして表現される。 「感覚と生理」とは、自分のものでありながらも、自分ではどうにもならず、自分を支配している自分の中の自律神経と、そして自分自身の肉体のカタチとその構造なのである。 「思考と行動」とは、生存の仕方と文化のシステム、そしてそれを貫いて展開し強制してくる、その歴史の原理の特徴のことなのである。 これは、 たとえば東アジアの場合、稲作とそれに基づいて形成される宗教と社会体制がそれであり、そしてまた、歴史そのものがたどる、その秩序とパターンの「型」がそうなのである。 |