index< 日誌 < af必然< 24d-10「こだま」p7 |
だからその現れた情緒のすがたといったものは、まやかしに過ぎず、仮のすがたに過ぎないのである。そうは言っても、それは差し当たって、自らのすがたとしてどうしても表現されねばならないものなのである。 そしてこれが情緒の表現としての表情なのである。それは自分自身の肉体のカタチとその仕組みの表現なのであって、そしてそれはまた、歴史的に形成されてきた種としての自らの生活様式が表現されたものなのである。 生存の仕方とその型式、習俗や習慣、シキタリ、そして文化や社会のシステムとして現れている、現実の世界がそれなのである。そしてまた、このような自分を取り巻く現実の世界を通してしか、自分を表現し得ないのである。 |