index< 日誌 < af必然< 24d-10「こだま」p7 |
何かへと自分が誘われ、ワケもなく居たたまれず、じっとしていることが出来ずに、しかしまた、そのままでは自分が壊れてしまうのである。だから自分のすがたカタチを求めて、出て行かざるを得ないのである。 だからまた、気まぐれで偶然なのである。何でもよい、何にでも取り憑くし、乗り移るのである。それが本当かどうか、良いことか悪いことなのか、それで正しいのかどうか、といったことはどうでも良い二の次なのである。 要は、現実の自分のすがたが必要なのである。だから出て行かざるを得ないのである。そうして始めて自分が壊れずに、自分が自分であり続けることが出来るのである。 |