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2、限界。

そして、これを自らの内部で印象や象徴、及びサインのスイッチとして蓄積し「型」として保存してきたのである。

そして、このような印象といったものを、自分が他人に対して見るとき、例えば他人の顔の表情や仕草を見るときに、直接に自分と同じものとして感じることが出来るのである。

あるいは、そのようにしか感じられないように出来ているのである。自分自身の生存のシステムが、もともとそのように出来ているのである。そしてこれが種としての営みなのであって、その範囲と境界を定めているのである。

反対に言うと、このような境界から逸脱した人間は、共有性がないというか、共通の土台を欠く者として、交流したり共に何かを感じたりすることが不可能なのである。そしてこれが感情の共有の限界線となっているのである。

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2018-1029-1010