index< 日誌l見えないもの < 24d-29「続、コミュニケーション」p4


1、どうにもならない。

感じる、理解できる、あるいは心のどこかで触れ合っている、などと思えてくる。それは自分の中でそうした何かを感じるもの、感じることが出来るものがあるからである。

他人の身振りや立居振舞いの行為や動きだけでなく、自分自身の肉体表面に現れる表情や仕草、そしてまた肉体内部の生理的で神経的な作用の営みといったものも、そうなのである。

そうした自分自身の中にある無意識の、そしてまた、自分でもどうにもならない、身体内部の仕組みと構造がもたらす営みによって、他人にも自分と同じ何かを感じているのである。これは自分でも、どうにもならないことなのである。自分も相手も、そして人間自体がもともとそうなのである。

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2018-1122-1206