index< 日誌 < z自意識< 24d-42自分はだれか 「自意識」p7 |
しかしそれは、子供と孫がカワイイというよりも、それしか現実世界の中で自分を繋ぎ留めるものがないから、そうしているだけなのだ。そうするしかなく、自分にはそれしか無いから、仕方なくそうしているだけなのだ。 しかしまたそれは、日本という経済社会特有の啓蒙主義的体制と、中世的な農村共同体、そして日本的国家資本主義に基づく、ケイレツと公共工事のシステムがもたらした、必然的な結果なのである。 すなわち、日本全体がケイレツと化した上下の人間関係の中では、人間自体が外面的で形式的な生き方しか求められないのである。従って、このような外面性だけが人間の評価の基準となって、価値観や趣味や性格や気質や気性といったものの、望まれ求められる人間のモデルとなっているのである。 |