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そしてこれが自己の原理であり、自己の同一性なのである。他者と区別される自己の存在とは、このような存在を指しているのである。そして、このようにして時間と空間を越えて、自己が同一であることが出来たのである。 時間という歴史的な時代と、空間という肉体の制約を越えて、人間が同一であり続けることが出来たのである。すなわち、自己の中に自律的な内的原理を持つ存在となったのである。 個が肉体として消滅しても、それが自律的な原理として生き続けることが出来たのである。そしてこれを私たちはタマシイと言ってきたのである。タマシイとは、このような民族の歴史と、その意識のことなのである。 |