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未知との遭遇によって、自分にないものを見ているというのは誤解である。自分にないものなど知ることも理解することもできず、それが見えるはずがないからである。 未知のものが見えるというのは、もともと自分の中にそれと分かるような何かがあったからである。直接的なものでなく、たとえ暗示的で潜在的な影のようなものに過ぎないとしても、とにかく、自分の中にそうした何かがあったからに他ならない。 人間は自分が分からないことが見えたりすることはない。自分も分からないものが見えてくるというのは、それが自分にとって分からないものであることを理解しているからである。つまり、「分からない」という意味で、それを理解しているのである。 |