index< 日誌 < u列島 < 24d-91おもてなしC 「集団的自意識」p9 |
だからまた、自分を外から客観的に見ることも出来ず、自分で自分を生きることも、自分が自分を知ることも決してないのである。そうした経験も記憶もあり得ない世界を生きているである。そもそも、そうした場面そのものが無いのである。 しかしまた、ここで生きている限り、それで十分なのである。そして、このような経験と記憶の人間関係こそが、自分が信じる良心と正義になっているのである。事実関係や法律などと言ったことは、ほとんどどうでも良いことなのである。 ただそれが、そうした自分たちの人間関係に合致してこそ、そうした場合にのみ、それが法律や事実として表面に出てくるのである。要は、このような「自分たち」という自意識が、すべてに優先する世界なのである。 そしてこれが分からない者は、空気が読めない者、気配りと察しに欠ける者、自分たちの外の者、波風を立てて引っ掻き回すだけのヨソ者として、だれも相手にしてはならない者として、村八分にされるのである。 |