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親しいというは、多かれ少なかれ無防備になるということである。相手との間に境界線が無くなり、自分と相手との間を隔てるものが無くなって、ケジメがなくなるということである。 言い換えると、自分と相手が同じ者として、肉体と精神が自由に行き交うということである。そしてそれが許される間柄だということである。自分の中に他者が自由に入ってくるし、自分もまた相手の中に自由に出入りしている。自由に入って出て行って、そしてそれが許される間柄だということである。 極端に言うと、自分と相手との区別がなくなって同化してしまった状態である。自己の人権もプライバシーも消失してしまっている。そんなものは要らない。自我が破壊された。それは相手も同じで、人格とプライバシー以前の状態に戻ってしまったのである。 |