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あるいは、このような自分自身の無意識の世界が、偶然の出来事を結び付けて錯覚し、自分の意識や感じ方を生み出しているのである。すなわち、抽象化しているのである。 つまり、これは飽くまでも偶然なのであって、支離滅裂でバラバラな錯覚なのであるが、これが現実の社会との係わりの中で、そしてそのコミュニケーションの過程の中で、互換性ある共通の印象やサインとして取捨選択されてきたのである。 印象が無意識の世界で共通化し共有化されたのである。そしてまた、こうしたことが自分自身の自意識と自己認識の下地になっているのである。 |