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従って、このような閉じた自己の無意識の世界から出て行かざるを得ず、そうして始めて自分というのが現実の存在となるのである。そしてこれがコミュニケーションなのであり、他者との交流なのである。 それは、自己の主観が客観となるように迫られているのである。自分が自分であることを求めているのである。自己というのが現実の存在であることが、求められているのである。 そして、こうした交流とコミュニケーションが、とらえどころのない漠然とした自己の気分や情緒にカタチを与え、無意識の世界を意識された現実の世界へと引きずり込んで行くのである。 |