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もちろん、このような理解自体はどこまで行っても観念的な空想に過ぎず、偶然の錯覚に過ぎないのである。それはどこまで行っても自分の中だけの主観的な思い込みに過ぎないのである。 それは自分の立場と環境の条件から来る、自分の都合に合わせた偶然の思い込みの世界なのである。要するに、現実の条件と、それが求める方向といったものが、個人の主観に客観的な根拠を与えているのである。 また、そうしたことが人間をして現実の存在にしているのである。要するに、人間を取り巻く環境とそのバランスが、人間が生きて行く方向とその内的な傾向を指定し、決定しているのである。 |